1. はじめに
網膜ジストロフィ(Retinal Dystrophy)は、網膜の視細胞や色素上皮細胞に異常が生じ、進行性の視力障害を引き起こす疾患群です。多くは遺伝性であり、発症年齢や進行速度は疾患の種類や遺伝型により異なります。本コラムでは、網膜ジストロフィの概要、代表的な疾患、診断方法、現在研究中の治療法について詳しく解説します。
2. 網膜ジストロフィの種類
網膜ジストロフィにはさまざまな種類がありますが、代表的なものを以下に紹介します。
2.1. 網膜色素変性(Retinitis Pigmentosa, RP)
網膜色素変性は最も一般的な網膜ジストロフィの一つで、光受容細胞の変性により夜盲や視野狭窄が進行します。常染色体劣性、常染色体優性、X連鎖など、さまざまな遺伝形式があります。
2.2. スターガルト病(Stargardt Disease)
ABCA4遺伝子の変異によって生じる疾患で、黄斑部にリポフスチンの蓄積が起こり、中心視力が低下します。若年発症が多く、進行性の視力障害を特徴とします。
2.3. 錐体桿体ジストロフィ(Cone-Rod Dystrophy)
視細胞のうち錐体細胞が主に障害されるため、初期には色覚異常や視力低下が見られます。その後、杆体細胞も障害され、視野狭窄が進行することが一般的です。
2.4. 先天性停在性夜盲(Congenital Stationary Night Blindness, CSNB)
生まれつき夜盲がある疾患で、進行しないのが特徴です。NYXやGRM6などの遺伝子変異が関与していることが知られています。
2.5. ベスト病(Best Disease)
BEST1遺伝子変異による疾患で、黄斑部に黄白色の沈着物(卵黄様病変)が見られます。進行により中心視力が低下することがあります。
3. 診断方法
網膜ジストロフィの診断には以下のような検査が用いられます。
- 眼底検査:網膜の変性や黄斑部の異常を観察。
- 光干渉断層計(OCT):網膜の構造を詳細に観察し、視細胞層の異常を検出。
- 自発蛍光(FAF):網膜色素上皮の機能異常を確認。
- 視野検査:視野の欠損や狭窄の程度を評価。
- 網膜電図(ERG):光受容細胞の機能を評価し、視細胞の異常を検出。
- 遺伝子検査:疾患関連遺伝子の変異を特定。
4. 現在研究中の治療法
現在、網膜ジストロフィの治療法は限られていますが、さまざまなアプローチが研究されています。
4.1. 遺伝子治療
遺伝子変異による網膜ジストロフィに対して、ウイルスベクターを用いた遺伝子導入が試みられています。
- Luxturna(voretigene neparvovec):RPE65遺伝子変異を持つ網膜ジストロフィに対するFDA承認済みの遺伝子治療薬。アメリカおよび欧州の専門施設で実施されており、日本でも2020年に承認されました。この治療は非常に高額で、1回の治療に数千万円の費用がかかることが報告されています。
- CRISPR-Cas9技術:遺伝子編集により異常遺伝子を修復する試みが進行中で、アメリカのマサチューセッツ眼耳科病院などで臨床試験が行われています。
4.2. 幹細胞治療
胚性幹細胞(ESC)や人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いた視細胞や網膜色素上皮細胞の移植が研究されています。
- 網膜色素上皮(RPE)細胞移植:日本の理化学研究所でiPS細胞を用いた網膜色素上皮細胞移植の臨床試験が行われています。
- 光受容細胞移植:アメリカのケイシー眼研究所などで臨床研究が進行中です。
4.3. 薬物療法
- ビタミンA補充療法:アメリカや日本で、網膜色素変性の進行抑制のために使用されています。
- Nrf2活性化剤:ヨーロッパの複数の研究機関で酸化ストレス抑制薬の臨床試験が進められています。
- バルプロ酸ナトリウム:カナダのトロント大学医療センターで、網膜色素変性への効果を評価する研究が行われており、日本の京都大学でも治験が実施されました。京都大学での治験結果は、一定の神経保護効果が認められましたが、効果には個人差があることが示唆されています。
- ニルバジピン:日本の弘前大学で網膜血流改善効果を評価する研究が行われ、既に研究は終了しています。その結果、視細胞の生存率向上と視機能の維持に一定の効果が認められました。
- BCAA(分岐鎖アミノ酸):京都大学の研究で、網膜ジストロフィに対して有効であることが示唆されており、特に視細胞のエネルギー代謝を改善することで視機能の維持に寄与する可能性が報告されています。
4.4. 人工網膜(バイオニックアイ)
視細胞の機能を補うために、網膜電極を用いた人工視覚システムが開発されています。
- Argus II:アメリカおよびヨーロッパの専門施設で実施され、視覚障害の改善効果が確認されています。
- PRIMA:フランスのパリにあるインサーマ研究所でワイヤレス網膜インプラント技術の臨床試験が進められています。
4.5. 神経保護療法
- **BDNF(脳由来神経栄養因子)やCNTF(網膜栄養因子)**を用いた神経保護療法が、アメリカのNIH(国立衛生研究所)で研究されています。
- 電気刺激療法:ドイツのテュービンゲン大学で、網膜の電気刺激による視細胞保護効果の臨床試験が行われています。
5. まとめ
網膜ジストロフィは現在のところ根本的な治療が難しい疾患ですが、遺伝子治療、幹細胞治療、人工網膜などの研究が進展し、将来的には治療の選択肢が広がることが期待されています。早期診断と適切な管理が重要であり、視力の低下を遅らせるための生活指導も重要です。
参考文献
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